アンサンブル合宿前編の変更点

  • 追加された行はこのように表示されます。
  • 削除された行はこのように表示されます。
!!!書きかけ。まだ見ないでね。
{{image ブラームス.jpg}}
*去年の8月、父が最期の退院を行った月だ。
{{br}}それはもう治療法がないという後ろ向きな退院だった。
{{br}}それから3か月父は絶望の中で生き、そして死んでいった。
{{br}}オプソを服用し、朦朧とする意識の中で書き残したメモには、到底死を受け入れらない表現が並んでいた。
{{br}}小さい頃に父と死について話あったことがある。僕は死の概念が怖くて、父に聞いたら、やはり怖いと言っていたのを思い出す。。

{{br}}{{br}}
*亡くなる数日前、もう一人では立てない状況の中で、「歩きたい」と要求し、無理だと母がなだめると、大変憤ったそうだ。
{{br}}そして、母と長男の嫁の肩をかりて、ダイニングテーブルの周りを3周ほどして、眠りについたそうだ。
{{br}}無理に結びつけることもないが、その翌年の定演の曲目は悲愴で、弾くたびに、4楽章の最後のあがきのように感じた。

{{br}}{{br}}
*父は偉大な人だったと思う。手先が器用で、物を作るのがうまかった。絵もうまかった。
{{br}}昆虫や石についても詳しかった。
{{br}}ちょっとひねくれていたので、校長にはなれなかったが、優良教員として表彰されていた。
{{br}}教え子に慕われ、新人時代の生徒が毎年遊びに来た。

{{br}}{{br}}
*定年して8年間の闘病。人生の晩年は不本意だったに違いない。
{{br}}虫を取りに行きたかっただろうし、スキーをしたかっただろうし、釣りをしたかっただろうし、旅行に行きたかっただろう。。。
{{br}}美味いものを食べ、そして何よりもビールを飲みたかっただろう。

{{br}}{{br}}
*父が死んであらためて思う。
{{br}}でも本当の意味で、、父はどれくらいのことをやり残したのであろうか。
{{br}}ビールをもっと飲みたかったには違いないが、ビールをもっと飲めたら死んでよかったのであろうか。
{{br}}「ビールを後100リットル飲みたい。」というのは違う気がする。
{{br}}ビールを飲むことは日々のことであり、それ自身が本位・不本意の判断の基準になるような種類のものでない。
{{br}}虫もスキーも同類である。

{{br}}{{br}}
*「死ぬまでにやりたかったこと」に対して「これらをやったら死んでよい」は裏であろうか。対偶であろうか。

{{br}}{{br}}
*世界一を狙っているスポーツ選手なら、それを達成したらそういう気持ちになるだろうか。

{{br}}{{br}}
例えば、2011年9月11日に世界が滅亡するとして、それまでにやりたいことと感覚は同じだろうか。

そもそもこの死ぬまでにやりたいことという命題自体が間違っているのではないだろうか。
そもそも常人にこれをやったら死んでよいなんて思考は成立しがたいと思う。
父がビールをこよなく愛したように、楽しみの絶対量を追い続けるのではないだろうか。

やりたいことは1つ、2つ、と数えて判断するのではなく、やりたいことの絶対量なのではないか。

{{br}}{{br}}
*仕事は嫌いではない。プログラムを作るのは得意だし、楽しい。
{{br}}全然うまくいかないが、プロジェクト管理もやりがいがある。
{{br}}あっという間に一日が終わる。

{{br}}{{br}}
*本当はもっとやりたいことがあるのだ。
{{br}}日々僕は何をしてるのだろうか。
{{br}}安易に。選択しやすいものを選択している。
{{br}}でも本当にやりたいことってなんだろうとも思う。

{{br}}{{br}}
*チェイコンを弾いてみたい。
{{br}}世界一周旅行をしたい。

{{br}}個人練習とはその名の通り、個でやる孤独な練習だ。
*楽しいことをするには人の協力が必要。僕も一緒にいることでその場の楽しさをすこしでもアップできれば。

{{br}}僕もひねくれているので、なかなか溶け込みにくい。その中でも高津オケの仲間は、大人になってからできた、本当に仲の良い(と思う)大事な仲間だ。

{{br}}クラリネットが暗い音で陰気な雰囲気を造成してくれる。トランペットが同じ旋律をパリッとしたお音で堂々とした雰囲気を造成してくれる。

{{br}}琴線に触れる旋律がある。

{{image IMG_1540.jpg}}